三島由紀夫「漫画は何が何でもをかしくなくてはならぬ」


決定版 三島由紀夫全集〈29〉評論(4)


17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 17:42:33 ID:id+Eexvi
漫画は、かくて、私の生理衛生上必要不可欠のものである。をかしくない漫画はごめんだ。何が何でもをかしく
なくてはならぬ。おそろしく下品で、おそろしく知的、といふやうな漫画を私は愛する。
悩殺する、とか、笑殺する、とかいふ言葉は、実存主義ふうに解すると、相手を「物」にしていまふことだと思はれる。
「人を食ふ」といふのもこれに等しい。われわれは他人の人格を食ふことはできぬ。相手を単なる物、単なる
肉だと思ふから、食ふことができる。
漫画はだから「食はれる状態」をうまく作りあげねばならぬ。「物」になつてゐなければならぬ。
知的な漫画ほどこの即物性がいちじるしく、低級な漫画ほど、笑ひ話の物語性だの、教訓性だの、によりかかつてゐる。
下手な落語家は「をかしいお話」を語るにすぎないが、名人の落語家ほど、笑はれるべき対象を綿密に造形して、
話の中に「笑はれるべき物」を創造してゐるのである。
何もいはゆる、サイレント漫画が知的だといふのではない。
言葉がない代りに、社会の良風美俗に逆によりかかつてわからせてゐるやうな、不心得な漫画も散見する。

三島由紀夫「わが漫画」より




18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/01/10(月) 17:42:54 ID:id+Eexvi
漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを
仕入れて来なければならないのだ。あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。
そして倒錯的な漫画が、人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。
日本の漫画がジャーナリズムにこびて、いはゆる社会的良識にドスンとあぐらをかいて、そこから風俗批評、
社会批評をやらかして、それを漫画家の使命だと思つてゐる人が少なくないのは、にがにがしいことである。
もつとも漫画的な状況とは、また永遠に漫画的状況とは、他人の家がダイナマイトで爆発するのをゲラゲラ笑つて
見てゐる人が、自分の家の床下でまさに別のダイナマイトが爆発しかかつてゐるのを、少しも知らないでゐる
といふ状況である。漫画は、この第二のダイナマイトを仕掛けるところに真の使命がある。

三島由紀夫「わが漫画」より







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