読書家の定義、読書論
私の考える読書家三原則
1.月に十冊以上は読む
2.文学全集を複数所有している
3.好きな哲学者を即答できる
異論は認める
1.月に十冊以上は読む
2.文学全集を複数所有している
3.好きな哲学者を即答できる
異論は認める
私の考える読書家一原則
2ちゃんをやらない
2ちゃんをやらない
2ちゃんも情報収集のみに使うと決めていれば悪くないと思うな
ネット全般そうだけど、あくまでツールとして使うのであって娯楽の類いではない
よって2ちゃんやってても読書家は名乗っても良いのではないか
ネット全般そうだけど、あくまでツールとして使うのであって娯楽の類いではない
よって2ちゃんやってても読書家は名乗っても良いのではないか
読書"量"についてはどう思う?
俺は手当たり次第読むより気に入った本を何度も読むのが好きなんだけど
好きな作家の本ならそれこそ10回以上読んでる
俺は手当たり次第読むより気に入った本を何度も読むのが好きなんだけど
好きな作家の本ならそれこそ10回以上読んでる
実際問題として、読むべき本を100冊あげるとすると小説は10冊程度になる。
小説はさくさく読めるが、堅い本は読むのに時間がかかるので
読書時間に占める小説の割合は5%くらいでしかない。
読書の息抜きに小説を読む、という感じになる。
小説はさくさく読めるが、堅い本は読むのに時間がかかるので
読書時間に占める小説の割合は5%くらいでしかない。
読書の息抜きに小説を読む、という感じになる。
ちょっと意味不明になってしまったな。
現代では多くの本が手軽に手に入るため、一冊を大事に擦り切れるほど読み込むことは少なくなり、丁寧な読書がされなくなっているのではないか?という問。
多読、多くの書に触れなさい。というのは罠ではなかろうか。
朝ごはんを食べれば活力も出るし脳も活性化するし良いことづくめだ、と同じぐらい多読こそ善とされる昨今。
現代では多くの本が手軽に手に入るため、一冊を大事に擦り切れるほど読み込むことは少なくなり、丁寧な読書がされなくなっているのではないか?という問。
多読、多くの書に触れなさい。というのは罠ではなかろうか。
朝ごはんを食べれば活力も出るし脳も活性化するし良いことづくめだ、と同じぐらい多読こそ善とされる昨今。
小説を読むな、とは言われないけど
小説ばかり読む人にはなるな、とはよく言われる
小説ばかり読む人にはなるな、とはよく言われる
読書家であった事で、実生活に活きた事はなんですか?
潜在意識に刷り込まれてどこかで役だっただろうっていう抽象的な話ではなく、
明確にこれ読んだ成果がここで活きたっていう出来事はありますか?
潜在意識に刷り込まれてどこかで役だっただろうっていう抽象的な話ではなく、
明確にこれ読んだ成果がここで活きたっていう出来事はありますか?
個人的な感覚での定義
・読まない人(本は全く読まない。)
・一般人(暇潰し程度に読む。年間読書数一桁)
・趣味人(自分の好きなジャンルを読む。年間読書数二桁)
・読書家(複数のジャンルを読み込む。年間読書数三桁)
・専門家(読書が仕事の一部)
・活字中毒(ただただ読むだけ。半分病気)
・読まない人(本は全く読まない。)
・一般人(暇潰し程度に読む。年間読書数一桁)
・趣味人(自分の好きなジャンルを読む。年間読書数二桁)
・読書家(複数のジャンルを読み込む。年間読書数三桁)
・専門家(読書が仕事の一部)
・活字中毒(ただただ読むだけ。半分病気)
年間100冊も読めば読書家と思っていんじゃね。
小説が半数以上を占める人は読書家と認めたくない。
暇潰しの読書と目的ある読書を弁えてる人が読書家といえると思う。
娯楽小説を何冊も読んでも知恵はつかんわな
生きた知恵だったら読書自体が関係ないかもな。
考える情弱が考えない情強に知恵で勝ることなど、
いくらでもありそうだ。
考える情強が最強なんだろうが、そんなにいないと思う。
考える情弱が考えない情強に知恵で勝ることなど、
いくらでもありそうだ。
考える情強が最強なんだろうが、そんなにいないと思う。
乱読の末わかったことは、年三桁は結構きつい
>>43
最低でも月8冊ペースだからね。
最低でも月8冊ペースだからね。
乱読の末にわかったことは本物だけを読めばいいってこと。
くだらない本を読んでる暇なんてないよ。
くだらない本を読んでる暇なんてないよ。
ぼくが読んだ面白い本・ダメな本 そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術 (文春文庫)
posted with amazlet at 12.02.18
【関連記事】
- ピース又吉、読書脳がキレキレ 「アメトーーク! 読書芸人」
- 皆さん読書ノートをなんで取ってるの?
- 文学の役割あげてけ
- 小説読むことで身につく力ってなんかあるの?
- 歴史に名を残すのは「高尚な文学」じゃなくて大衆文学だってのは歴史が証明している
- 明治の文豪は国語教育を受けていないから小説を書く時最初は大変だったらしいな
- 第二次大戦後、あらためて日本の文学者が発見したのは、小説というものが人生に相渉るだけではなく同時につくり話でなければならないということだ
- 文学は想像力を喚起する効用があるから読んでも無駄にはならんよ
- 文学読むより筋トレした方が百倍人生に有意義な件
- 文学って地震の前では無力だよなあ……
→月別よく読まれた記事 @本読みのスキャット!
→人気エントリー @本読みのスキャット!
→「本読みのスキャット!」TOPページへ