宮本百合子「文学というものは師匠がなくても済む」


宮本百合子全集〈第1巻〉


4 :吾輩は名無しである2012/02/18(土) 16:50:26.35
素直なあるがままの人間として、熱心に真面目に生きていく人間としての文学、
そういう情熱の溢れるものとしての文学、お互いがお互いの言葉として話せる文学、
そういうものを求めているいるわけです。

宮本百合子




5 :吾輩は名無しである2012/02/18(土) 17:09:23.44
ただ文学は一つの技術が要りますから、いきなり誰でもここにいらっしゃる方みんなが小説を書くことはできません。
しかし、文学というものは師匠がなくても済む、これは一つの面白い特徴だと思います。
皆さんどんな人でも一生のうちに手紙を書かない人はないでしょう。
十五、六歳に誰しも日記を書き始めたくなって書きます。
一生続ける人もあるし、途中で止めてしまう人もあるけれど。
この戦争では夫を或いは子供を戦線に送った人々は皆手紙を書いています。
あれは一つの文学的な歩みからいうと日本人というものが書くということについての
大きな訓練だったと見ることができます。人間の心の話としての文学の端緒はそこにある。
だから文学は師匠が要らない。
(略)文学は先生なしに、手紙を書き、日記を書き、恋文を書くことの中に心の声が歌い出すから、
私どもにとっては、文学は生活に織込まれた芸術です。
この文学の勉強のためには学校なんかいくらあっても役に立ちません。
大学を卒業したからといって小説が書けるものではない。
小説や歌をつくることは生活と心を結びつけて表現して行くのであって、
個人の持っている天性の力もあるけれども、社会が十分にそれを認めて
どんなへんないい方でも、そのいい方の中にはその人の生活があり、
私どものその時の生活が反映されているものとしてすくい上げて行く力、
それがあれば、いたわられて社会の中に私共は伸びることができるのです。

宮本百合子「婦人の創造力」より一部引用





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