鳥嶋和彦、編集者としての功績


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221 :名無しさん名無しさん2012/05/18(金) 20:57:11.85
鳥嶋和彦 編集者としての功績】
編集者として多くの漫画家を発掘・育成しており、中でも鳥山明桂正和の2人が当人達の成功もあり特に有名。
彼等は様々な場面で鳥嶋を恩師と呼んでおり、鳥嶋が『Vジャンプ』を立ち上げた際に連載を行うなどと繋がりが深い。
鳥山については『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』の編集を、
桂については『ウイングマン』の編集や『電影少女』の発案に関わっていた桂正和
(「桂正和インタビュー」『4C R-side』 集英社、1998年8月9日発行、ISBN 4-08-782762-3、69 - 77頁)

意に沿わない内容であれば原稿を容赦なく没(不採用・描き直し)にする鬼の編集者としても有名で、
口癖の「ボツ!」は『Dr.スランプ』を始めとして多くの作品に登場し、
鳥嶋本人の代名詞となっている『Dr.スランプ』第8巻のおまけ漫画「ヤシの木はうごいた」では、
漫画家の意に沿わない行動に対し「ボツにするぞ」と脅す場面もあった。。
ラブコメディ好きで、『ドーベルマン刑事』(連載後期の担当)での加納と三森、
『Dr.スランプ』でのアラレとオボッチャマン(をはじめとした各種カップル)などにおいても
登場キャラクター同士を恋愛関係に発展させることにこだわった。
一方、元々恋愛沙汰を苦手としていた鳥山はこの姿勢に反抗し、
千兵衛とみどりの結婚に至る過程および次作『ドラゴンボール』での孫悟空とチチの結婚に至る過程を
あっさりさせたとのこと。その流れはブルマとベジータ、クリリンと人造人間18号に至るまで徹底されている。




222 :名無しさん名無しさん2012/05/18(金) 21:02:48.09
1996年(平成8年)2月には『週刊少年ジャンプ』の売上低迷を打破する切り札として、ジャンプ本誌に呼び戻され編集長に就任。
『遊☆戯☆王』など連載作品のメディアミックスを精力的に推し進めた。前体制から続く発行部数下落傾向の結果
1997年(平成9年)には『週刊少年マガジン』に発行部数首位の座を奪われたものの
この頃から『ONE PIECE』や『NARUTO -ナルト-』などの新人作家のヒット作が再び出てくるようになった。
以後2001年(平成13年)6月まで同誌の編集長兼発行人となった。
鳥嶋が編集長兼発行人となったのは、前任者堀江信彦がジャンプと関係のない他部署に異動(その後退社)したため
発行人に昇格できなかったのが原因で、週刊ジャンプの歴史上極めて異例であった。
その後、『週刊少年ジャンプ』『月刊少年ジャンプ』『Vジャンプ』を統括する
第3編集部部長(取締役昇格後も2006年(平成18年)7月まで兼任)に昇格、
週刊ジャンプでは発行人として引き続き名前を載せていた。
2003年(平成15年)1月、鳥嶋の後任だった高橋俊昌が突然死した時は、
追悼号となった2003年11号で1号だけ編集長兼発行人として再登板、高橋の追悼メッセージを掲載する。
翌週からは当時副編集長だった茨木政彦を編集長に昇格させる人事を行った。
週刊ジャンプ発行人としての氏名掲載は、2008年に茨木が後任の佐々木尚にバトンタッチするまで続いた。
その一方で週刊ジャンプ時代の優れたメディアミックス展開に対する評価からライツ事業部部長にも抜擢されて兼任し、
2004年(平成16年)8月には集英社常勤取締役となる。
2008年(平成20年)6月設立の小学館集英社プロダクション取締役を兼任。
2009年(平成21年)8月には集英社常務取締役、
2010年(平成22年)8月には集英社専務取締役に昇任。





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