三島由紀夫「世評の高いブラッドベリなどは、女性的なSFであって文学としても三流品である」


ブラッドベリ、自作を語る


515 :名無しは無慈悲な夜の女王:2012/06/12(火) 21:17:55.38
三島由紀夫
「SFは本来、いくら知的でありすぎてもよい自由なジャンルなのである。
 (中略)
私は外国のSFを無条件に買っているのではない。たとえば世評の高いブラッドベリなどは、
なり損ねの抒情詩人で、ひよわな感性を売り物にし、もっとも女性的なSFであって、SFとして邪道なばかりか
文学としても三流品である。
SFからは少なくとも低次のセンチメンタリズムが払拭されていなければならぬ。

私は心中、近代ヒューマニズムを完全に克服する最初の文学はSFではなあいか、とさえ思っているのである。」

1963年『宇宙塵』71号 「一SFファンのわがままな希望」より




522 :名無しは無慈悲な夜の女王2012/06/13(水) 02:56:05.23
>>515
三島が並べた欠点の本質は「女性性」ではなくて「童心」だと思う。
当時の日本ではある程度の年齢になったら大人として振る舞うことが求められたし
ストイックな三島なら特に、自分が子供でいることなんか自分に許さなかったと思う。
だから、きっと心の底では自分のやりたかったようなことを
自由奔放にやられてしまってくやしかったんじゃないかな。

でも、奥さんには甘えてたみたいだけど。
ああ、日本男児は「嫁」に「母」を求めるのは有りなんだよね。




523 :名無しは無慈悲な夜の女王2012/06/13(水) 04:59:43.49
ブラッドベリ大好きということは前提であえて言ってみるけど、
一番未来を志向している建前のSFというジャンルが、実はその根底において
「童心」とか「ノスタルジィ」といった過去への拘泥に根差しているということを
体現していた作家であるとは思う。
その意味では、三島のその指摘もあながち外れてはいないと思うけど、
それは決して否定的にだけ捉えられる文脈ではないとも思う。




524 :名無しは無慈悲な夜の女王2012/06/13(水) 05:42:06.50
>>522 >>523
いろいろあるんだが、特に「バーン!おまえは死んだ」「戦争ごっこ
の二連作を読むと、「童心」とか「ノスタルジィ」にこだわってることに対して、
ブラッドベリは強く自覚的だったんだなあって、しみじみ思う
だから個人的には、鼻にはつかないんだよな〜
ブラッドベリが自己投影して書いてたのは、子供のまま戦場にいるジョニーじゃなくて、
子供のままのジョニーに驚く仲間の兵士や、子供になろうとしたが子供になりきれなくて
弾に当たって死んじゃった兵士の方だと思うし

三島はブラッドベリが自覚的だったからこそ鼻について、嫌だったのかもしれんけど・・・







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