3.11後の文学


3・11の未来――日本・SF・創造力


引用元:http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1347725855/

1 :吾輩は名無しである2012/09/16(日) 01:17:35.87
文学を3.11前後に分ける動向がみられます。
3.11後の文学って震災・原発をネタにした文学ですか?
震災・原発文学について皆さんはどう思いますか?




2 :吾輩は名無しである:2012/09/16(日) 01:30:58.45
震災・原発で変わるほど文学はヤワじゃない
何も変わらんよ、毎度の事だ




18 :吾輩は名無しである2012/09/24(月) 08:09:48.73
>>2
文学はヤワじゃないというけど、3.11後に現代(の日本)文学がやけにちんけなものに見えてしまったことは確かだよ。
現代文学の想像力を遥かに超えた現実を再び超えられるのかどうか、いま文学は試されている。




20 :吾輩は名無しである2012/09/29(土) 15:15:10.06
>>18
オウムや9・11の時も、そんな事云ってた知識人がワンサカと居たな




21 :吾輩は名無しである2012/10/04(木) 19:52:41.51
>>20
たしかに
評論家の飯の種




5 :吾輩は名無しである:2012/09/16(日) 01:53:00.54
原発小説や、「文学は3.11後、何ができるのか」をテーマにした評論や対談が文芸誌にポツポツと増えてきた。
その作者たちは何が目的なのだろうって思う。
被災された方々に寄り添うことなのか。そうだとしても、買わないよな。
文学で政治を動かそうとしているのか。
文学として記録し、後世に残そうと使命感に燃えてる作家もいるだろうけど。




8 :吾輩は名無しである2012/09/16(日) 02:03:24.75
>>5
いいネタめっけ ってだけだろ




9 :吾輩は名無しである:2012/09/16(日) 13:05:24.55
震災後の想像力とかいって、評論家も金儲け



10 :吾輩は名無しである:2012/09/16(日) 21:18:47.94
9.11後の文学とセットで考えたら?



11 :吾輩は名無しである2012/09/17(月) 21:56:07.36
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い 9.11といえば個人的には『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』なんだけど、
ああいう3.11って出てきてないよね
『ものすごく〜』も4年くらいかかってるし、これからなのかな




12 :吾輩は名無しである:2012/09/18(火) 04:30:28.76
後出しが特なのか



14 :吾輩は名無しである:2012/09/18(火) 05:29:22.27
あわてて上梓してる人のネタが払底するのが4年。
その後、新しい作家がいいとこ取り。
首都圏直下型地震が来たら、また「いいネタみっけ」って飛びつくのか。
津波原発の被災者ではない人が遠くからネタにして、その後に首都圏直下型地震で被災。
ぴんぴんしている人がネタに。




19 :吾輩は名無しである:2012/09/27(木) 22:31:06.65
被災された方の私小説なら読んでみてもいい
現状では、文学より詩とか短歌の方が勝っている

9.11後の文学とセットで考えるか
ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』を読んでみるわ




23 :吾輩は名無しである:2012/10/05(金) 23:39:06.30
評論とノンイクションなら読むな。
ジャンルが現代ほど多岐にわたっていなかった時代だと、
小説がジャーナリズムの役割もあったけど。
お役目を評論がやってしまっているから、
今さら小説で読みたいと思わない。

被災された方々に寄り添いたいとか、文学で政治を動かしたいとか、
そういうのが目的なら、ネットで公開すればいいと思う。

結局、金とか功名心を満たしたいとか、利己的な目的で書いてるんだろう。




26 :吾輩は名無しである2012/10/07(日) 03:45:14.83
311をどう捉えるかとか、311「後」のビジョンとか、
そういう社会学現代思想界隈が発信してるものを
必要以上に多くの若者が「重要そうなもの」として耳を傾けてるように思うんだけど、
311が本当に大衆に教えたことって、いつまでも面白そうな熱ある場所で
無駄に自分の時間消費してないで、個人個人やれるべきことを普通にやれ、
基本的なことを取り戻せってことだと思うのよ。

だから個人的には「311後」を考えたものよりも、
大衆には古典的なもの(時代を越えても変わらないもの)にもっと目を向けてほしい、気がする。
個人のビジョンにいつまでも付き合ってる暇はない。




28 :吾輩は名無しである:2012/10/07(日) 08:48:58.03
でも、テーマの一つとしてなら。
何が何でも、それでなきゃ価値がないっていうような論調は引くけど。

津村節子が群像で今月号から『三陸の海』を連載開始したなけど、
キャリアのある作家が書いてると信頼感があるから読んでみる。
あと、仙台在住の伊集院静が、去年の週刊誌に3.11の日の思いを寄稿していたのを読んだが、
表現が情緒豊かでかえって読むのがしんどかった。ああいうのを文学というのだな。
伊集院静が長編で書いたら読んでみたい。




30 :吾輩は名無しである2012/10/07(日) 14:21:24.66
3.11を境にしてばっさりと切り取り
3.11の前後を分けて考える文学があるとすれば、浅薄な気がするけどもね
それは3.11を矮小化していることにつながるし
単なるパラダイム転換的なはっそうでしかないんだとも思える
俺にとっての3.11は、その前から地下深くで胎動していた新しい息吹き
ともいえる世界的な規模での流れをはっきりとした姿で見せてくれたものだ
3.11を境にした断層は存在しない
おぼろげに見えていたものを、よりはっきりとした像として見せてくれたのが
3.11だと思っている
そして重要なのは、大衆のなかにそうした新しい潮流を呼び込む下地を
連れてきてくれたということだと思う
新しい価値観というか、新しい生き方というか、自然とともに人が生きていく
意味とその原点へと、無意識に立ち返らせてくれたのだと思う
そういう視点で観れば、3.11の持つ力と意味は日本に限定されはしない
いわば心の革命だよ。革命とは溜まりに溜まった矛盾が止揚されるものだ
それまでの矛盾が、新しい命を生み出すもので
矛盾という下地がなくてはならない
その意味からすると、3.11がそのまま単独であるわけではない
単独で見てしまってそこから何が生まれるか、甚だ疑問だ
2011.3.11とは影像としてリアルに突きつけられたもので
もっと以前から、文学という意識のなかに混沌とした形ではあるが
なくてはならなかったもののはずだと強く思う
それがなくて、単なる3.11の影像に衝撃を受け
その意味を口にしているのが、3.11を境に前後で文学を分ける
というような発想に繋がっているような気がしてならない




32 :吾輩は名無しである2012/10/07(日) 17:47:53.07
冷めた見方をすると、地震津波の震災被害については東北地方の太平洋側の話なんだよな。東京も揺れたけど。
で、日本では自然災害で人が死んだり家が壊されたりってのは、そこまで稀な話でもない。
小規模なものは毎年あるし、阪神大震災やら伊勢湾台風やら、戦後でも大規模な災害はあった。自分も阪神大震災はちょっと巻き込まれたし。

2011年の震災を特別視するとしたら、原発事故とその後の放射能をめぐる首都圏での混乱なわけだけど、あと電力不足か。世の中の流れ的に、大飯再稼動あたりからずいぶん変わってきたなって思う。自民党やら経団連がおおっぴらに「原発推進」を掲げるくらいだし。

川上弘美「神様2011」みたいな作品が後世でどういう評価になるかは気になる。古川日出男「馬たちよ、それでも光は無垢で」なんかもどうだろう。ハルキの「神の子どもたちはみな踊る」はわりと好き。




37 :吾輩は名無しである2012/10/08(月) 10:42:58.28
むしろとても震災前に書かれたものとは思えない小説とか教えて
見方の問題になってしまうかもしれませんが




38 :吾輩は名無しである:2012/10/08(月) 17:50:23.51
震災前に書かれた日本の震災とか原発を扱った小説?
いい意味で?
だったら小説ではないけど、吉村昭の「三陸海岸津波」では
漫画だとナウシカなのかな




27 :吾輩は名無しである2012/10/07(日) 08:37:26.69
「311後」を書いた文学が大事だと強迫観念にとりつかれている人は何なのだろう。




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