アリエッティ再見したけどこれ脚本は案外悪くないな
引用元:http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/iga/1346928209/
アリエッティ再見したけどこれ脚本は案外悪くないな
というか、宮崎がかなり良作になるパーツをふんだんに入れてるのに、
麻呂が全く汲み取れてないのが笑える
小道具とか設定とかアニメートは凄いんだけど人物に全く興味ないなって
会ってはいけない関係とか、禁断の逢瀬とか、会えなくてもなかなか会えない環境とか
すごいロマンチックな状況設定がしてあるのに、麻呂がことごとくぶち壊してるのが面白い
「男」の配置も巧みだね。デートに反対する頑固親父と、恋敵
互いが互いの持ってないものを持っていて、補填しあうという関係性もロマンチック
ホミリーの救出も、初めての共同作業風に用意されてるのにな。全然演出がわかってない
困ってる時、会いたくても会えない相手に、運命的に再会して力を貸してもらう
というのが宮崎の用意したシチュエーションなのに
真っ先に翔の部屋目指して目の前で泣いてみせてすぐ泣き止んで協力してもらうとか
まるでお菓子欲しくてウソ泣きする子供みたいだ。なぜ力は借りないと気丈に振舞うも涙が込み上げてくるとか
そういう演出にしなかったのか。要はご近所もののけ姫みたいなもんだろうこれ
その点、コクリコはまだ脚本の意図を汲み取ってたな。最後のほうになってだけど
あの脚本の口頭記述とかいうヘンテコな制作体制、駿がハッキリと試してるのがわかる
一歩出たのは吾郎だな。設定の想像力は麻呂に軍配があがるんだけど
どっちもアクションの官能性を持ってないのが痛い
というか、宮崎がかなり良作になるパーツをふんだんに入れてるのに、
麻呂が全く汲み取れてないのが笑える
小道具とか設定とかアニメートは凄いんだけど人物に全く興味ないなって
会ってはいけない関係とか、禁断の逢瀬とか、会えなくてもなかなか会えない環境とか
すごいロマンチックな状況設定がしてあるのに、麻呂がことごとくぶち壊してるのが面白い
「男」の配置も巧みだね。デートに反対する頑固親父と、恋敵
互いが互いの持ってないものを持っていて、補填しあうという関係性もロマンチック
ホミリーの救出も、初めての共同作業風に用意されてるのにな。全然演出がわかってない
困ってる時、会いたくても会えない相手に、運命的に再会して力を貸してもらう
というのが宮崎の用意したシチュエーションなのに
真っ先に翔の部屋目指して目の前で泣いてみせてすぐ泣き止んで協力してもらうとか
まるでお菓子欲しくてウソ泣きする子供みたいだ。なぜ力は借りないと気丈に振舞うも涙が込み上げてくるとか
そういう演出にしなかったのか。要はご近所もののけ姫みたいなもんだろうこれ
その点、コクリコはまだ脚本の意図を汲み取ってたな。最後のほうになってだけど
あの脚本の口頭記述とかいうヘンテコな制作体制、駿がハッキリと試してるのがわかる
一歩出たのは吾郎だな。設定の想像力は麻呂に軍配があがるんだけど
どっちもアクションの官能性を持ってないのが痛い
>>762
コクリコの兄弟エンドは駿が意図したものだったの?
駿名義でできない事息子にやらせたって事?なんでまた
コクリコの兄弟エンドは駿が意図したものだったの?
駿名義でできない事息子にやらせたって事?なんでまた
>>766
コクリコの兄妹ネタは原作通りだよ
そうじゃなくて、骨組みだけの脚本をどう膨らませるかってこと
駿の創作過程を見ればわかる。まずおぼろげな話の筋があって
イメージボードを沢山描いて、想像を膨らます
物語を支える発想は既にここで出尽くしていて、絵コンテは実は
結構作業的な面が大きい
麻呂も吾郎も、イメージを膨らませるのが足りなさすぎなんだと思う
アリエッティは、一見佳作になってるように見えるけど
映画としてはゲドと同じくらい素人臭い
男の子の視点から始まってるのに、アリエッティが登場すると
Cパートまでずーっと小人側の視点。Cの冒頭で思い出したように翔の来歴を語らせてる
映画は基本的に大きなクロスカットで構成される。主人公の視点と、主人公以外の視点があって
一見関係のない双方が交互に映されることで、関係性と、観客の好奇心が保たれて
双方の流れが合流するところで、一気に高揚する
アリエッティはこの基本すら出来てない。本来なら小人側の一家団欒と、人間側の一家団欒は
並行して映さねばならない。じゃないとテンションが保てないし
暖かい借り暮らしの一家と、叔母甥家政婦の冷たい一家との対比にならない
宮崎駿はこの基本的な文法に実に忠実で、それでいてバランス感覚も良い
ラピュタのティディス要塞周辺のクロスカットなんかほんと上手いね
双方で事件が進行しつつ、どちらが長すぎたり偏ることもなく、それでいて要点は押さえてある
両者が合流するとこが一番のクライマックス
コクリコも、中盤までは非常に無味乾燥なコンテなんだけど
終盤になると吾郎の気が乗ったのか、少し良くなる
「貴様ら俺より先に死ぬなよ」ってシーンは、主役二人の時間軸にとってはあまり重要ではないんだけど
あの映画では一番良いシーンだった。駿もここで涙してたよね
骨組みでしかな脚本のイメージを広げて、ああいうシーンを作れたことが「勝ち」だってこと
コクリコの兄妹ネタは原作通りだよ
そうじゃなくて、骨組みだけの脚本をどう膨らませるかってこと
駿の創作過程を見ればわかる。まずおぼろげな話の筋があって
イメージボードを沢山描いて、想像を膨らます
物語を支える発想は既にここで出尽くしていて、絵コンテは実は
結構作業的な面が大きい
麻呂も吾郎も、イメージを膨らませるのが足りなさすぎなんだと思う
アリエッティは、一見佳作になってるように見えるけど
映画としてはゲドと同じくらい素人臭い
男の子の視点から始まってるのに、アリエッティが登場すると
Cパートまでずーっと小人側の視点。Cの冒頭で思い出したように翔の来歴を語らせてる
映画は基本的に大きなクロスカットで構成される。主人公の視点と、主人公以外の視点があって
一見関係のない双方が交互に映されることで、関係性と、観客の好奇心が保たれて
双方の流れが合流するところで、一気に高揚する
アリエッティはこの基本すら出来てない。本来なら小人側の一家団欒と、人間側の一家団欒は
並行して映さねばならない。じゃないとテンションが保てないし
暖かい借り暮らしの一家と、叔母甥家政婦の冷たい一家との対比にならない
宮崎駿はこの基本的な文法に実に忠実で、それでいてバランス感覚も良い
ラピュタのティディス要塞周辺のクロスカットなんかほんと上手いね
双方で事件が進行しつつ、どちらが長すぎたり偏ることもなく、それでいて要点は押さえてある
両者が合流するとこが一番のクライマックス
コクリコも、中盤までは非常に無味乾燥なコンテなんだけど
終盤になると吾郎の気が乗ったのか、少し良くなる
「貴様ら俺より先に死ぬなよ」ってシーンは、主役二人の時間軸にとってはあまり重要ではないんだけど
あの映画では一番良いシーンだった。駿もここで涙してたよね
骨組みでしかな脚本のイメージを広げて、ああいうシーンを作れたことが「勝ち」だってこと
>>773
だいたい同意だけど
駿の涙は作品自体じゃなくて吾郎に対しての涙だと思うよ
なんで!って思いと吾郎の子供の頃からが脳裏に浮かんだと妄想
だいたい同意だけど
駿の涙は作品自体じゃなくて吾郎に対しての涙だと思うよ
なんで!って思いと吾郎の子供の頃からが脳裏に浮かんだと妄想
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