三島由紀夫「自分の死ということを文学のテーマにすれば、いつかは文学をぬけ出して、自分が死ななければならない」
引用元:http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1284081334
政治というものは生に委任して継続されるものであるか、死に委任して継続されるものであるか。政治がひとつ
完成した段階に来たら、その次の形は完全な破壊と無しかないのか。あるいはそれの先に向上があるのか。
つまり進歩という概念のもう一つ先ですね。そこになにがあるかという問題でしょう。それは文学と同じ問題で、
さっき埴谷さんがおっしゃった、非常に危険な文学観だと思いますが、つまり、死と生と両方を文学が
総合しなければならないとすると、死滅を、自分の死ということを文学のテーマにすれば、いつかは文学を
ぬけ出して、自分が死ななければならない。政治の立場で人を平気で死なせるという立場に立てば、これも必ず
文学をぬけ出して、字の上で人を殺してもしようがないのだから、実際に人を殺さなければならない。そのときに、
文学というのはまったく、文学の自己否定の上にしかなり立たんということですね。文学自体の否定の上にしか
文学はなり立たん。
三島由紀夫
埴谷雄高と村松剛との対談「デカダンス意識と生死観」より
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