日本の純文学の発展の系譜の中で、正統的でかつ最新のものはよしもとばななや村上春樹の世代で、それ以降は停滞している


色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年


引用元:http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1339810277/

320 :吾輩は名無しである:2013/03/14(木) 20:10:42.64
日本の純文学の発展の系譜の中で、正統的でかつ最新のものは、
よしもとばなな村上春樹の世代で、それ以降は停滞している
平野、綿矢には担えない
というかタイプからして違う
どっちも純文学のタイプではない
平野は賢いんだけど芸術家ではないよね
よしもとばななが小説を書くときに小説の完成形が頭の斜め上の空間に浮かん
でいるイメージで、それを目指して書くって言ってたけど、平野は頭を使って
書いてる
左脳で書くか、右脳で書くかの違いというかね
村上春樹のデビューは静かなもので、平野ほど派手ではなかったけれど、あの
小説(『風の歌を聴け』)はすでに完成されていた
ちゃんと器ができていて、後はその中に何を放り込んでも良かった
たくさんのものを放り込めば、それだけ小説のスケールがアップする、
そのための器としての小説の基礎がきちんとできていたよね
平野は確固としたものを持たず右往左往している印象
今にして思うと、デビュー当初のロマン主義に対する羨望と模倣、これが彼の
本質がそういったものからかけ離れたものであったことを示していたと思う
才気煥発で負けず嫌いの人間のすることだから、自分の憧れと嫉妬の対象をも
小手先で上手く料理してみせたけれども



321 :吾輩は名無しである:2013/03/14(木) 20:23:01.71
平野と綿矢や春樹とならべるなって。

平野よりもひどい、というのは、磯崎健一郎ぐらいしか思い浮かばない。
そういう立ち位置だと思うよ。



322 :吾輩は名無しである:2013/03/14(木) 20:33:40.15
小説の才=筆力+α
平野は筆力しかない感じかな。
+αがなんなのかは、うまくいえないけれど。



326 :吾輩は名無しである:2013/03/14(木) 20:53:58.36
筆力は絵でいうと画力、デッサン力だと思う。
画力があるのはわかるけど、とくに感想がうかばないことがある。






【関連記事】