小学生の頃から美文を紡いでいた三島由紀夫


写真集 三島由紀夫 ’25~’70 (新潮文庫)


三島由紀夫の小学生の時代の作文ってさすがに捏造だろ?あんなの小学生が書ける訳ないしw
http://news4vip.livedoor.biz/archives/51461029.html

「冬の夜」


火鉢のそばで猫が眠つてゐる。
電灯が一室をすみからすみまでてらしてゐる。
けいおう病院から犬の吠えるのがよくきこえる。
おぢいさまが、
「けふはどうも寒くてならんわ」
とおつしやつた。
冬至の空はすみのやうにくろい。
今は七時だといふのにこんなにくらい。
弟が、
「こんなに暗らくつちやつまんないや」
といつた。


平岡公威(三島由紀夫
8歳の詩

「大内先生を想ふ」


ヂリヂリとベルがなつた。今度は図画の時間だ。しかし今日の大内先生のお顔が元気がなくて青い。
どうなさッたのか?とみんなは心配してゐた。おこゑも低い。僕は、変だ変だと思つてゐた。
その次の図画の時間は大内先生はお休みになつた。御病気だといふことだ。ぼくは早くお治りになればいゝと思つた。
まつてゐた、たのしい夏休みがきた。けれどそれは之までの中で一番悲しい夏休みであつた。
七月二十六日お母さまは僕に黒わくのついたはがきを見せて下さつた。それには大内先生のお亡くなりになつた事が書いてあつた。
むねをつかれる思ひで午後三時御焼香にいつた。さうごんな香りがする。
そして正面には大内先生のがくがあり、それに黒いリボンがかけてあつた。
あゝ大内先生はもう此の世に亡いのだ。
僕のむねをそれはそれは大きな考へることのできない大きな悲しみがついてゐるやうに思はれた。


平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文

「ばけつの話」


僕はばけつである。
僕は大ていの日は坊ちやんやお嬢さんがきて遊ばして呉れるが、雨の日などは大へん苦しい。
ほら、この通り、大部分ははげてゐる。
又雪の日なんかは、ずいぶん気もちがいい。あのはふはふしたのが僕のあたまへのつかると何ともいへない。
それから僕が植木鉢のそばへおかれた時、あの時位いやな事はなかつた。
となりの植木鉢がやれお前はいやな形だの、又水をくむ外には何ににも使へないだのと云つた。
あそこをどかされた時は、ほんとにホッとした。ではわたしの話はこれでをはりにする。


平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文

「夕ぐれ」


鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。
――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ――
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。
おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。
これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。


平岡公威(三島由紀夫)、9歳の作文

確かに捏造レベルのクオリティw どういう教育を受けたらこんな風になるんだろうか?そこが気になってしょうがない。娯楽が少なかったということもあり、現代人に比べて昔の人の方が教養深いのは理解できるんだけど、年齢が年齢だもんなぁ……凄すぎます。



↓ おまけで、筒井康隆による三島由紀夫評。

禁色 [著]三島由紀夫
http://book.asahi.com/hyoryu/TKY201001120288.html

禁色 (新潮文庫)三島由紀夫もまた、少し前に文壇に登場した新進作家だった。その新作である『禁色』が評判だった。青猫座以来つきあいのあった女優たちがしきりに噂(うわさ)していたので、ぼくはその小説を読んだ。そして打ちのめされた。こんな凄(すご)い文章が書けなければ作家にはなれないのかと思い、絶望した。この作家は、ぼくの「作家にでも」といういかにも軽い考えを根本から打ち消してくれ、作家になるならそれなりの修業が必要であることを教えてくれたのである。そのお蔭(かげ)でぼくは、マスコミによって便利に消費されてしまうような作家には、ならずにすんだのかもしれない。


その文章はたしかに美文ではあるが、論理性を持った美文で、警句や箴言(しんげん)が散りばめられていた。その才能は驚くべきものだった。描写力、表現力もさることながら、実社会や裏社会の知識もまた作家の年齢からは考えられぬほどの豊かさに満ちていた。テーマは○○だったが、まだ日本では知られていなかったゲイというアメリカの俗語もただ一か所、ゲイ・パーティということばで紹介されていた。こんな最近の風俗まで熟知しているのかとぼくは感心した。

美文という意味では、小さい頃からその片鱗をみせていた模様。今の若い作家さん達は、同じ時代に三島がいなくてほんと良かったよね。



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