キャラ立ちって一種の「ムダさ」なんだよな


小説キャラクターの創り方―漫画・アニメ・映画、小説から学ぶ



572 :名無し物書き@推敲中?:2011/04/25(月) 21:29:11.07 ID:?
キャラ立ちって一種の「ムダさ」なんだよな。
ストーリー上ムダな要素。

なんというか、ただの論説や説明文と違って、文学にはストーリーとは違うムダな要素が必要で、
そのムダな部分がキャラ立ちなんじゃないだろうか?

例えばありがちだが、主人公が妙なクセを持っている。
そのクセは別にストーリー上何の意味もない。伏線になるわけでもないし、ギミックになるわけでもない。
でもムダであるからこそ、「キャラ立ち」になる。

ストーリーに絡んだら、それはもはやストーリーの一部になってしまうんじゃないだろうか。
意外性がなくなる。ムダだからこそ意外でもあり、無意味だからこそ面白い。

例えば、主人公が大ピンチに陥る。必死に逃げるんだけど、逃げながら、ふと料理屋の看板が目に入り、
「今日、晩飯なに食おうかな? あの時食べたキンメダイはうまかったよな。どこの海でとれたと言っただろうか?
一緒に食べた友人は今元気にしてるだろうか?」と、場違いで暢気なことを考えてしまう。
もちろん、その料理の思い出はストーリーにはまったく絡まない。

だからこそキャラ立ちとして処理されるのではないだろうか。

完全に将棋の駒と考えられていた「銀将」と「桂馬」が、「昨日、銀座であった女がいたんだけどさ、
美人だと思ってたら、朝見かけたらヒゲはいてたんだよw」「あははっ、オカマかよw」とか、将棋中に
ムダ話してたら面白いだろ。

無機質な駒だと思っていたら、実はそれぞれの趣味や人生を抱えた人間だったんだって。
そういうもんなんじゃないの、キャラ立ちって。


574 :名無し物書き@推敲中?:2011/04/25(月) 22:51:07.43 ID:?
>>572
そこはかとなくラノベ臭いな。




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