超能力を持つキャラが出てくる作品は古今東西を問わず沢山あるが、ここまで能力の組み合わせや駆け引きにこだわってるのは日本ぐらいだと思う


バジリスク〜甲賀忍法帖〜(5) <完> (ヤンマガKC)



149 :名無しさん名無しさん:2011/05/26(木) 21:22:26.04 ID:?
ゲーム性と言えば能力バトル。
超能力を持つキャラが出てくる作品は古今東西を問わず沢山あるが、ここまで能力の組み合わせや駆け引きにこだわってるのは日本ぐらいだと思う。

ちなみに、能力バトルの元祖は甲賀忍法帖だが、この時点で既に能力バトルの基本の殆どが出ているのには驚かされる。
戦いのゲーム化、チームバトル、組み合わせの妙、能力の科学的裏付け等々…。

ついでに言えば、出てくる能力もその後の能力バトルで基本とされる能力ばかりなので、何だか、ここから全く進歩してないような気さえする…。
(と言うか、そうなのか)


150 :名無しさん名無しさん:2011/05/26(木) 21:23:37.71 ID:?
何で今、能力バトルがここまで受けているかと言うと、そもそもバトル物、言い換えれば英雄物語とは駆け引きの物語だったからじゃないか。
おとぎ話を分析してみると、古今東西どこでも英雄は知恵を働かせて敵を倒してる。
DBのように強いから勝つと言うのは実は少数派。
能力バトルのように、知恵を使って勝つ物語こそ王道。

だからDBみたいに主人公が修行してどんどん強くなっていくタイプの物語は実は異端だと思う。
おとぎ話で、主人公が修行を重ねて強くなっていくタイプの作品ってのは、実はあんまりない。
英雄は最初から強いし、修行もしない。

それなのに何でDBみたいな物が増えたかって言うと、これは一つに物語の長編化があると思う。
つまり、長い物語が増えたから、主人公もその中でどんどん成長していく事が出来るし、またその必要がある。
そして、昔は短い物語が主流と言うか、あんまり長い物語を語る事が出来なかったから、主人公が物語の中で成長していく様を描けなかった。


151 :名無しさん名無しさん:2011/05/26(木) 21:24:24.90 ID:?
もう一つは梶原の影響。
梶原作品には主人公が修行に修行を重ね、どんどん強くなっていく快感がある。
例えばジョーでは、最初は滅茶苦茶強かった力石を、通信教育で身につけたボクシング技術で追いつめるジョーの姿にはやはり興奮する。
努力に努力を重ね、強敵に追いつき追い抜いていくストーリーというのは、やはり面白い。

そして梶原作品が漫画界を席巻したから、こうした力比べ物が王道になった気がする。
80年代の漫画界を席巻したジャンプ作品何て、大半が梶原の影響下にあるし…。


152 :名無しさん名無しさん:2011/05/26(木) 21:26:47.92 ID:?
ただ、ぶっちゃけ梶原作品的な修行して強くなっていくタイプも、実はおとぎ話に良くある謎かけ物の一つな気がする…。

DBで強くなる過程をあげてみると、
スーパーサイヤ人になるには冷酷さが必要だと説かれるも、誰もそれになる事は出来なかった中、仲間思いの悟空が仲間が殺された怒りが鍵になってスーパーサイヤ人化。
仙人からパワーアップアイテムを奪おうと悪戦苦闘する中、いつの間にかそれが修行になっててパワーアップ…と、力を得る過程その物が謎解きになってるものが多い。
また、力を得る過程がクライマックスになってない場合、最後はどうにかして追いつめられ、知恵を使わせられる展開になる事が多い。
(ピッコロ大魔王戦、マジュニア戦等々…)

となると、こうしたそれまでのバトル物にあった知恵比べの要素を更に先鋭化させたのが今の能力バトルとも言えるんだろうか…?






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