福田和也「川端はかなり遅い時期まで、文学として小説に信用を置いていなかったのではないだろうか」
「川端はかなり遅い時期まで、文学として小説に信用を置いていなかったのではないだろ
うかと僕は思う。文学をやるなら小説ではないと思っていたのかもしれない。そして自分
が小説を書くとしたらこうという形ができたのが、「雪国」だったと思うんですよ。それに比
べると、近代の日本の小説家はあまりにも早く小説に乗り過ぎている。小説以前の迷いとか懐疑
が薄い。小説にリアリティを持たせたいという欲求にひっぱられ、小説を書く自分の精神を検討
しなかったところがある。なぜ世間が小説家にこうも甘かったか。たぶん口語文を使うパイロット
として見られたんでしょうね。」
福田和也・坂本忠雄との鼎談「川端康成『雪国』―インヒューマンな近代の体現者―」(坂本忠雄『文学の器』扶桑社、2009年8月)所収
うかと僕は思う。文学をやるなら小説ではないと思っていたのかもしれない。そして自分
が小説を書くとしたらこうという形ができたのが、「雪国」だったと思うんですよ。それに比
べると、近代の日本の小説家はあまりにも早く小説に乗り過ぎている。小説以前の迷いとか懐疑
が薄い。小説にリアリティを持たせたいという欲求にひっぱられ、小説を書く自分の精神を検討
しなかったところがある。なぜ世間が小説家にこうも甘かったか。たぶん口語文を使うパイロット
として見られたんでしょうね。」
福田和也・坂本忠雄との鼎談「川端康成『雪国』―インヒューマンな近代の体現者―」(坂本忠雄『文学の器』扶桑社、2009年8月)所収
福田和也・坂本忠雄との鼎談「川端康成『雪国』―インヒューマンな近代の体現者―」より
古井 しかも、川端さんの文章というのは五七調にかからないんです。
荷風や谷崎はかかりますよ。川端さんはそれを拒んでいる。だから古典を
気楽に引いているのではなく、拒みながら何かを引いているんだ。
(中略)
福田 川端康成には、遂に文体がないと三島は書いていますが。
古井 それが、僕らが今まで話してきたことの証拠ですよ。文体を拒んだん
だ。安易に文体をものしたくない。三島さんも明敏だね、鋭い。その言葉
は、三島としては褒め言葉だったと思いますね。
福田 文体にとらえ込まれて、三島は苦労したわけですから。
古井 本当ですよ。珍しく文体のない大家だと絶賛だったんじゃないかしら。
文体を拒んだのはよくわかる。僕も六十代半ばの作家として、恥ずかしい
くらいなもんだ。小説の文体なんて、たかが五十年、百年ぐらいの約束事
でしょう。それを拒むくらいの精神があってもいいわけですね。漱石だっ
て、無茶な文体よ。川端さんは、意識的に拒んでいる。それが、日本の美
学伝統を伝えるたおやかな作家ってことになるから、世間というのもなか
なか悪いねえ(笑)
古井 しかも、川端さんの文章というのは五七調にかからないんです。
荷風や谷崎はかかりますよ。川端さんはそれを拒んでいる。だから古典を
気楽に引いているのではなく、拒みながら何かを引いているんだ。
(中略)
福田 川端康成には、遂に文体がないと三島は書いていますが。
古井 それが、僕らが今まで話してきたことの証拠ですよ。文体を拒んだん
だ。安易に文体をものしたくない。三島さんも明敏だね、鋭い。その言葉
は、三島としては褒め言葉だったと思いますね。
福田 文体にとらえ込まれて、三島は苦労したわけですから。
古井 本当ですよ。珍しく文体のない大家だと絶賛だったんじゃないかしら。
文体を拒んだのはよくわかる。僕も六十代半ばの作家として、恥ずかしい
くらいなもんだ。小説の文体なんて、たかが五十年、百年ぐらいの約束事
でしょう。それを拒むくらいの精神があってもいいわけですね。漱石だっ
て、無茶な文体よ。川端さんは、意識的に拒んでいる。それが、日本の美
学伝統を伝えるたおやかな作家ってことになるから、世間というのもなか
なか悪いねえ(笑)
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