福田和也「川端はかなり遅い時期まで、文学として小説に信用を置いていなかったのではないだろうか」


晴れ時々戦争いつも読書とシネマ


230 :吾輩は名無しである:2012/04/09(月) 00:26:41.01
「川端はかなり遅い時期まで、文学として小説に信用を置いていなかったのではないだろ
うかと僕は思う。文学をやるなら小説ではないと思っていたのかもしれない。そして自分
が小説を書くとしたらこうという形ができたのが、「雪国」だったと思うんですよ。それに比
べると、近代の日本の小説家はあまりにも早く小説に乗り過ぎている。小説以前の迷いとか懐疑
が薄い。小説にリアリティを持たせたいという欲求にひっぱられ、小説を書く自分の精神を検討
しなかったところがある。なぜ世間が小説家にこうも甘かったか。たぶん口語文を使うパイロット
として見られたんでしょうね。」
福田和也・坂本忠雄との鼎談「川端康成『雪国』―インヒューマンな近代の体現者―」(坂本忠雄『文学の器』扶桑社、2009年8月)所収




231 :吾輩は名無しである:2012/04/09(月) 00:27:10.33
福田和也・坂本忠雄との鼎談「川端康成『雪国』―インヒューマンな近代の体現者―」より

古井 しかも、川端さんの文章というのは五七調にかからないんです。
 荷風や谷崎はかかりますよ。川端さんはそれを拒んでいる。だから古典を
 気楽に引いているのではなく、拒みながら何かを引いているんだ。
(中略)
福田 川端康成には、遂に文体がないと三島は書いていますが。
古井 それが、僕らが今まで話してきたことの証拠ですよ。文体を拒んだん
 だ。安易に文体をものしたくない。三島さんも明敏だね、鋭い。その言葉
 は、三島としては褒め言葉だったと思いますね。
福田 文体にとらえ込まれて、三島は苦労したわけですから。
古井 本当ですよ。珍しく文体のない大家だと絶賛だったんじゃないかしら。
 文体を拒んだのはよくわかる。僕も六十代半ばの作家として、恥ずかしい
 くらいなもんだ。小説の文体なんて、たかが五十年、百年ぐらいの約束事
 でしょう。それを拒むくらいの精神があってもいいわけですね。漱石だっ
 て、無茶な文体よ。川端さんは、意識的に拒んでいる。それが、日本の美
 学伝統を伝えるたおやかな作家ってことになるから、世間というのもなか
 なか悪いねえ(笑)





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