宗教は人々に仮初の「強さ」を与えた


池上彰の宗教がわかれば世界が見える (文春新書)


引用元:http://toro.2ch.net/test/read.cgi/books/1341425242

803 :無名草子さん:2013/05/14(火) 00:26:03.41

宗教は人々に仮初の「強さ」を与えた。

「信じれば救われる」「選ばれし民」
というふうに弱者に信じ込ませ、現実社会では惨めな弱者であるけれども
宗教を信じ、入信していれば、特別で幸福な人間になれる、と。

弱者として惨めな日々を送る彼らには、それはまさに光明だった。
宗教に縋る以外に、精神的安堵が得られないのだ。

自分で現実を変える力も勇気もない。自信など持てるはずもない。
かくして、宗教を絶対的価値観と盲信し、否定する人間を否定した。

宗教は生きる意味であり、人生そのものになる。
宗教がアイデンティティを形作り、世界の存在理由にさえなる。

世俗的成功を否定し、あらゆる努力、達成を否定する。
弱者達はそれを持っていないからだ。持っていても、それに懐疑的な人だから入信したのだ。
世俗的成功が否定されたので、金持ち信者は財産をすべて寄付する。
あるいは、教団自体が持続的財産を欲しているなら、彼のビジネスを擁護し、賞賛さえする。
しかし、それは教団を太らせることはあっても、金持ち信者の懐からは零れ落ちていくだけである。

金持ちなのに、なぜ弱者?
金持ちであっても、精神的な弱者は存在するのだ。
親の事業を受け継いだだけの人とか、事業の途中で家族に見放されたとか、仲間から裏切られたとか。
そいうことによって、精神的弱さが露呈することがあるのだ。

話がすこしそれたが、人は生きる為に自信や自尊心を必要とする。
弱者であってもそうだ。強者になれるよう努力することが最善の解決策だが
宗教信者になったり、自己に埋没したり、犯罪を犯したりなど、その反応はさまざまだ。

いろいろな考え方、理想論を排し、自信と自尊心、幸福を獲得する最善の道にして
唯一の道と言っても良い道が「強くなる」ことである。例外はない。




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宗 由貴・監修 鈴木 義孝・構成
文藝春秋
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